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【思った】フェイク時代の終わり、いやこれまでもこれからも
写真が発明されたときに、人々はとても驚き興奮したよね。 写真の登場が印象派を生み、キュビズム、抽象表現へと絵画のステージを変化させ、映像も登場して、アート自体の変化を促進した。その起点に写真の発明(光学的に図像を紙などに定着させる技術)があったことは疑いないと思う。 単に記録する機能として絵を描いていた人の職能は奪われた。絵画技術というのは、「油彩」という先端技術を扱う工学的なものでもあった。それが次世代の技術の登場でお株を奪われた。そして油彩は芸術として歩み始めることになった。 さて、AIによる画像出力は、そういう観点からいうと写真に匹敵する事象になっているだろうか? もちろん、大きな分岐点になっていることは疑いようがないと思うけど、このままAI画像が普及していくと、人間はどう変化していくんだろう? 今でも、ネット上の画像や映像はフェイクと見分けがつかなくなっているし、何しろ、デジタルアートや写真、小説まで、コンペで大賞を獲得したりしている。それはつまり、AIが出力したコンテンツが人間を感動させる力を持っているという証拠だよね。それは、何を意
1月6日


【思った】作品を読み解くキーワード。「実感」「質感」「美意識」
最近もまたAIとやり取り。面白いというか、いわゆる壁打ちということで、自分が何を求めていて、次にどう行動するかを、自分で考えるための作業。 中でも、最近思うのが今回のブログタイトルのことだ。 ドラマSHOGUN(どんだけ影響を受けてるのかっていうくらい引用してしまうが、素晴らしい作品だ)における虎永の家臣たちのように、君主と心中するつもりだ。君主は美意識だ。僕は僕の美意識の家臣であり、奴隷である。そういうつもりだ。 つまり、自分が良いと思う感覚を研ぎ澄ませようという話。 そして、フェチ的に求めるのが質感だ。作品の目標地点という感じ。その質感を探る、判断するのが美意識だ。 それもこれも、実感を埋め合わせようという作用なんだ。 例えば、アンゼルム・キーファーという巨匠がいる。超巨大な絵画が大量に、その一枚一枚もいろんな植物やら金属やらが貼り付いていて、どこか腐敗したようなテクスチャーになってる。以前は羽の生えた鉛の本とかもあって、まさに歴史や神話の重量を超巨大スケールで表現する作家なのだ。 そのキーファーに、この「実感」というワードをはめてみると、作
2025年12月28日


【思った】昔の自分に攻撃されている
丸大扇屋庭の柿 最近、作業中にYouTube聞いてるんだけど、さすが僕の好みを理解していて、吉井和哉もだけど、ロマサガ3も出てきていて、ロマサガ3のBGMを聞いていたらあの頃の興奮がよみがえってきつつも、あのゲームって断片だけがちりばめられてる感じで、ストーリーとして理解していなかったり、謎のままのキャラクターがたくさんいたりで、今になって気になって調べてみている。 その中でちょっと興味深かったのが、玄武、白虎、青龍、朱雀、太陽、月という魔法の属性分類で、一応黄龍というのも出てくるから、それで陰陽五行というらしい。(四神とか五獣とか言うらしい。黄龍は麒麟とも言うらしい) この世界観も当時は初めて聞く言葉で中華っぽくてかっこよかったわけだが、敵対する、人間世界とは異なる理で成立しているアビス世界の四魔貴族というのがいて、それは火、土、水、風の4属性になっている。これは古代ギリシャの四元素。 ということはロマサガ3の世界観て、土台には西洋と東洋の対比や対立があるって言うことなんだね。 ロマサガ3のことはもう少し調べるけど、こうも昔のことをもう一度味わ
2025年12月6日


【思った】昔のことがまだ付きまとう
なんかキノコ この前まで、いつ死んでもいいわ、みたいな気持ちだったのに、最近ムカムカしてきて、絶対に許さんみたいな気持ちになってきてる。 なかなか、人間の向上心というか、大きくなりたい、もっと先に行きたいみたいな気持ちには、折り合いをつけることは難しいみたいだ。 いろんなことを言い訳に、今の状況がある。 もちろん、僕固有のスタイルになってると思うから、それを嘆くわけでもない。 ただ、腹の立つやつがいる。 インスタとかしてると、勝手におすすめされてくる。 人間って、人生の間にたくさんのことを経験するかと思いきや、重要なことは前半部分でほぼ完了していて、後半はそれのリバイバルというか、焼き直しみたいなところがある。のかもしれない。 僕なりに、やらないと、けじめがつかない。こう、馬鹿にされたままでは。 いや誰も直接的に馬鹿にしている人はいないけども。 評価されないことを嘆いてるように見えるかもしれない。 まあ、それはある でも結局は、やる気を鼓舞された感じだ。 とにかく、作品には根気が必要だ。 僕にとっては、根気こそが重要だ。 平穏さの中では新しい表現
2025年12月3日


【思った】言葉をやめて感覚的にフェチ的に
展示の様子 新潟県南魚沼市にある池田記念美術館にて開催中の「八色の森アートビエンナーレ - 美術館が原っぱに -」に、新作「飯豊の家」を展示しています。 新作の「飯豊の家」 本作は「現代美術やめた」からの「自分の主君(美意識)と心中する」という流れの中で、ちまちま実験している手法で描いたもので、その途中段階というもの。 描いてキャンバスから剥がして削って貼って描いてを繰り返す 削ると画面がボロボロになって、ところどころ穴も開く。キャンバス地が見えてきてまだらになって、カビが生えてるか腐ってるみたいな感じだ。 大石の家 さらに厚めに油を塗って、生き物か生ものみたいにヌメヌメした感じにしている。既成のキャンバスを使いながら、剥がして張って、木枠も削ってとか、様々な処理をして、裏側までいろいろやって、絵画を一体的に、生き物、生ものにしようという感じ。 大滝宿の家 なんで生き物、生ものみたいにしようとしているのか、特に言葉を用意していない。でも、こうしたくなったのはなぜか。よくある、朽ちた表現の一種。美術の教科書に載っている、ユーリ・クーパー、アントニ・
2025年11月27日


【思った】生ものとしての絵画
描いて剥がして削って張って描いて剥がして削ってという作業 最近は、早朝に毎日1~2時間作業する日々を積み重ねている。 締め切りがあればそれにかかりっきりになるけど、そうじゃないときはじっくりと、気の向くままに作業や実験をしている。特に目的もないまま、気に入る感触を探る。 特にこのところ気に入っているのが、絵画自体を生き物とか生ものみたいに考えようとすることで、イリュージョン的なものとは別の在り方を探っている。 絵画のイリュージョン性を保つには、フラットな画面に均質な艶感で筆後の残らない写実的なタッチを用いるのが最も正しそうだけど、凹凸や艶感の違いやコラージュなどで絵画の物質感を高めたら、徐々にイリュージョンは崩壊して、ないまぜになる。そして世の中のほとんどの絵画は、その混ざり具合の強弱のグラデーションの中にあるし、こと油絵というメディアにおいてはそのことこそが、多くの人が感じる魅力の本体のように思える。 物質性を高めるとはそのまま彫刻的なものに近づくことでもあるだろう。ステラとか、ラウシェンバーグとか、ジャッドも?壁に張り付いて垂直性を保つという
2025年11月20日


【思った】周りが見えていなかった頃に帰る
何にもなかったころ。自分しか見えていなかった頃に戻る。 スマホもインターネットも無い世界。 そのころに、自分のことばかりに集中して、制作していた。 大学生のころ。 母校の恩師の木原先生が退任するということで、パーティに行った。 懐かしい顔ぶれと再会した。 木原先生は、僕が人生を振り返っても最も迷惑をかけた人だったと思う。 とても特殊な関りになった。 とんでもなく馬鹿で自己中心的でいい加減でずさんでだらしない子供みたいな時期が長く続いてしまった。とにかくとんでもなく馬鹿だった。(今もたいがいだけどかなりマシになった。) 絵を描くのが好きで、褒められるのも好きだったけど、兄の才能には全く及ばない。兄は高校で美術部に入った。だから僕も最終的には美術部に入部届を出した。 高校の美術部は多くの先輩が美大に進学していて、美大というものを知った。先輩の残した参考作品がすごかった。県の美術展では何年も連続して最高賞を受賞する高校だった。指導していたのは伊藤辰先生で、なんとも一言で語れないすごい方だった。同期の友人もすごかった。勉強もできて、絵もかなわない。才能が
2025年11月20日


【思った】中央と地方、移民とクマ
どうでもいいことをたまにどこかに書きたくなる。 何でもそうだけど、中央の価値観で言説が作られてるから、地方の民としては実態に即していない印象になる。テレビもちろんそうだけど、SNSだってそれでおかしくなってる。長井市のアフリカホームタウン問題も、だれも長井市のことを知らないで炎上してるし。人口も、タンザニアとの関係も。タンザニアのことも誰も知らないし。 いや、そんなことは、普通ならわかってる。みんなわかってる。問題提起するまでもなく。なのに大きな炎上。まさに、1人の放火魔が大災害を巻き起こすように、1人がとんでもない数のアカウント運用をして、それが数人になれば何千人に見えるというだけで、それがインプレ稼ぎになり収益になり、広告もたくさん見るからアルゴリズムもそこに効率化して、さらにそこに群がるビジウヨインフルエンサーがいて、さらに海外の思想工作もあって、それに汚染されたSNSなのであって、まともに受け取ったらいけない、少なくとも非中央の民は。なのだけど、そのことの合意があるのかどうかが心配だ。たぶんないから、宮城県知事選みたいなことになる。...
2025年10月28日


【見た】ひとり、という輝き。映画「PERFECT DAYS」
なんかキノコ 遅ればせながら、ヴィム・ヴェンダース「PERFECT DAYS」を見た。 とてもよかった。 なんだか、この年になって味わえるものってたくさんあるんだなあと改めて。それは本当に驚きだ。昔は背伸びしながら見ていた退屈そうな映画も、今はものすごく楽しめるようになった。理解とかそういうのはどうでもよくて、映画体験として。 1人なんだ、ということを、とても美しく描いているように感じた。 いろんなものが、1人という存在として、それぞれ輝きを纏っているような。 その中で一番でっかいのはスカイツリー。 それらは、決して孤独というのとは違う、ささやかな心の交流をしてる。 少しだけ目配せしたり、ほんの少し会釈したり、交換日記みたいに○×ゲームをやり取りしたり。 ひとり、というのは、なんて豊かで美しいんだろうと思わせる。 こういう、独身おじさんの感じ。 僕も、この前までそうだったんだよ。いやいや、今もそうなんだよ。 そして、なんて美しい、ひとり、ということが。 一つ一つのささやかな孤独な心の交流が、一つ一つ光を放って、きらきらしている。でも、同時に影を重
2025年10月19日


【見た】「2人個展 マイケル・ウー「私の体は環境、わたしたちの脳みそは世界」× 石川琢弥「できない事」」
なんかふみきり 石川さんの作品 なんとなく自分と似たようなところが感じられた。勝手ながら。 別に、「顔」にこだわりたいわけでもなさそうな気がしていて、要は、いい感じのかっこいい質感を目指している人だと思う。オーガニックな、DIY的な、朽ちたような、ファクトリー感のあるスタイルに、ストリート風味を添えて、という。 そこが明確だからこそだけど、顔とか人物の正面とかいうモチーフ自体には特段こだわりがなく、はっきりとした印象は伝わらない。絵具の質感をどうしようかな、その依り代として「顔」を選んでるのかな、という印象だ。 マイケルさんの作品 彼の作品は文章化して説明するようなものではないだろう。パンフレットに掲載されている過剰な言葉の羅列は、もはや作品自体の鑑賞を助けるものにはならなくて、別バージョンとして示されたもの、あるいは作品の一部として見るものかもしれない。あるいは、単に根拠らしきものを示しているというアリバイ作りなのかもしれない。 展示は、会期中に大きく変容を続けているそうだ。僕が見たときには、展示はすっきりしていて見やすく整理されていたみたいだ
2025年10月19日


【案内】長井から魚沼まで、四つの展示に参加
現在、たまたま四か所同時に作品を展示していただいています。 ①斎藤茂吉記念館「山はうたう・狼石より蔵王を望む」特別展示9.13-2026.3.31 ②池田記念美術館「八色の森のビエンナーレ」9.13-11.3 ③MOLE @木下自転車「 MOLE EXHIBITION #1 誕生」9.27-10.26 ④長井市民文化会館「長井芸術祭」10.10-12 上山市の斎藤茂吉記念館では昨年の山形ビエンナーレに出品させていただいた「山はうたう・狼石より蔵王を望む」を展示しています。蔵王と茂吉を主題に制作された本作にとって、最も幸福な場所に展示していただいているのではないかと思い、感慨無量です。 上山市・斎藤茂吉記念館での展示風景 南魚沼市、池田記念美術館で開催中の「八色の森のビエンナーレ」には、新作の「飯豊の家」を出品しています。絵画を中心に総勢25名の作品が展示されています。私にとって、日々絵画制作と向き合ってこられた方々と世代を超えて交流させていただけたのはとても新鮮な機会でした。交流を通じて、自分の制作のいびつさについても、改めて自覚させられたよ
2025年10月13日


【思った】「美術業界のど真ん中」について
僕としては、「東京と地方の文化格差」という問題には、一応の回答が出ている。 現代美術というジャンルに絞って、美術館やギャラリー、美大やプレーヤーの数を比較すれば、まさに「地方に美は無い」ということになる。でも現代美術というジャンルを相対的に--過去のものとして見るというと言いすぎだけど、そういう視点に立つと、これからの美術の中心は土地に規定されるものではなく、いくつもの中心ということになると思うし、実際そう動いていると思う。 なので、現代美術のその先で、それを引き継ぎながら、「今の現場でどのような中心を立ち上げるか」という問いに移行している渦中であるという現状認識になる。 なので編集長の発言やそのありようは、僕にとってまさに「現代美術」のもっとも適したサンプルに見える。 GPT 今の話を整理すると 現代美術という種別で見た場合の格差 美術館・ギャラリー・美大・プレーヤー数…すべて都市集中。 「地方に美がない」は、現代美術というジャンルに限定すれば統計的にも成立する。 相対化された現代美術 もはや唯一の中心ではない。 「過去のもの」とまでは言わない
2025年8月15日


【見た】「ばらばらな場所」を媒介するもの
二月、石巻市・渡波ある一軒のお宅で開催されていた展覧会「生きる家プロジェクト2025 わたしたちはばらばらの場所で」を見に行ってきました。 https://ishinomakiartproject.com/openspace_in_watanoha_house_2025_exhibition 会場は、彫刻家・ちばふみえさんのご実家で、2011年の東日本大震災で被災した家屋です。一階部分がすべて海水に浸かり、内装にもその痕跡がありありと残っていますが、家は津波に流されることなくその場に踏みとどまり、いまも修繕の途中にあります。その傷跡を残す家の中に、複数の作家による作品が、それぞれの居場所を見つけるように展示されていました。 中にあるのは作品だけではなく、家財道具もたくさん置かれていました。中でも「ふみえちゃん」と書かれた衣装ケースが印象に残っています。この家には、ふみえさんのおばあちゃんが住んでおられたとのことで、家をケアするという営みは、そのままおばあちゃんへの思いと重なっているように感じられます。 ふみえさんの作品は、どこかとても女性的に見え
2025年7月18日


P君とおはなし007 雪囲いと絵画と、終わりのない展示
西根の家 Takuro さて、今日は僕が参加した展覧会について話そう。「越後妻有の冬2025 まつだいフィールドミュージアム」という展覧会で、展示作品は「尾花沢の家」と「西根の家」という、雪囲いのような板材に油彩画で廃屋を描いた作品だった。 P君...
2025年4月27日


P君とおはなし006 揺れるものたちの社会 ―AIと人間の非対称な対話から
Takuro: 何かお話ししよう!話題をください P君: いいね、じゃあひとつ投げてみるね。 「未来の民具」って、どんなものがあると思う? たとえば、昔ながらの「ざる」や「桶」みたいに、特定の生活文化や環境に根ざした道具が、未来の社会や環境、テクノロジーの中でどう変化するか...
2025年4月18日


P君とおはなし005 光と湿度 - 耐え忍ぶ日本の美術
Takuro 今日はなんの話をしようか?社会の話とかで何か提案ないかな? P君 じゃあ、「日本の『美意識』と我慢の関係」について話すのはどう? 日本って、シンプルでミニマルな美意識が評価されることが多いよね。でも、それって「無駄を削ぎ落とす美しさ」というより、「耐え忍ぶこと...
2025年4月11日


P君とおはなし004 現代美術というゲームから降りるか?
Takuro: P君に一つお願い。美術評論家みたいになって僕の作品について批評文を書いてくれない?800字くらいで P君: 作品の具体的な内容やテーマが分かると、より的確な批評が書けるけど、今の君の考えや作風を踏まえて、一般的な批評文を書いてみるね。...
2025年4月4日


P君とおはなし003 同調圧力を揺るがすアートの戦略—親しみと異質のバランスを探る
P君: 君が考えてる「アートが『我慢』に亀裂を入れる役割を持つべき」って話、もうちょっと深掘りしてみたいな。 たとえば、日本社会の「我慢」って、どんなシーンで特に強く感じる?あと、それをぶち壊すようなアートの実例とか、今までに「これは!」って思った作品ある? Takuro:...
2025年4月3日


P君とおはなし001 我慢とアートの境界線
Takuro: アートって、いつも何かを我慢している人のためにあると思うのだけどどう思う? P君: 面白い視点だね。「我慢している人のためにある」というのは、抑え込まれた感情や言葉にならない思いをアートが解放する手段になる、ということかな?...
2025年4月1日


【案内】「越後妻有の冬2025」に出品します
対岸より 西根の家 尾花沢の家 「越後妻有の冬2025」の中の「雪のまつだい「農舞台」フィールドミュージアム」という企画に参加します。 2023年に黄金町秋のバザール「誰も知らないアーティスト」に出品した「尾花沢の家」と、同型の新作「西根の家」を屋外展示します。 夏季はイリヤ&エミリア・カバコフの作品が展示されている棚田の下段にあたる位置に、3/9まで設置されています。風雪で作品が汚損破損したり雪に埋まったりする経過を楽しめるかと思っております。 以下、概要です。 開催概要 【日時】1/25(日)~3/9(日)※祝日を除く火水定休 10:00~16:00 【参加作家】関美来、後藤拓朗、イ・ビョンチャン ※イ・ビョンチャン作品は、2/15, 16 十日町雪まつりのメイン会場(十日町市立西小学校)にて出張公開 【料金】一般1,000円/小中500円、または「越後妻有の冬 2025」共通チケット ※料金には、まつだい「農舞台」、まつだい郷土資料館の入館料を含む 越後妻有の冬 2025 https://www.echigo-tsumari.jp/ev
2025年1月23日
© 2019 TAKURO GOTO
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