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僕はやっぱり、強固な、固有の自己課題が見つからないんだよ。

社会問題も、歴史も、政治も、どこか深刻になれない。自分の取り組むべき課題として感じられない。基本的に、現状を受け入れようとする心構えになってる。社会に対して、何か問題提起したり、意見を投げたり、提案をしたり、新しい視点を与えたり、というようなことは、そもそも向いていない。僕にはそういうのはない。だから、そういうコンセプトをでっちあげる意味も感じない。そう、なんかでっち上げたようにしかならない。取り繕うようにしか。自分の本心が出てこない。

大事なのは、どういう、力強い作品を作るのかということだ。そういう意味では、キーファーみたいな圧倒的な物量で圧倒するのも方法の一つだろう。でも僕は貧乏性でもあって、そこまでの方法はとれない。子育てと勤め人としての生活の中で救い上げたわずかな時間で制作をしていて、制作場所は限られた空間で、倉庫管理もままならないから、巨大な作品を制作するにも、それを誰かが保管するわけでもないし、誰かが運んでくれるわけでもない。

でも僕は、そういう条件の中で制作する作家でいるということは悪くないと考えている。それに、人に作業を委託するような発想もない。基本的に人と関わりたくないんだから。それに自分でやらないと手ごたえがないし。だから、自分一人のできる範囲と、時間的、空間的、物理的制約の中でできることを考えている。設営も、自分一人でモバイル的にできるようなイメージを考えている。そう、業者さんと協力しながら大規模なインスタレーションを組む作家、ではない。もっと別の方法で空間を作りたい。

それを踏まえて、今は絵画を通じて自身のゆがんだアイデンティティを表現することに集中しようとしていて、それがクリーチャーとしての絵画なんだ。だからこそ、絵画という物体を構成する様々な要素、例えば木枠、釘、キャンバス、絵具、というような要素それぞれに手を加えていきたいのと、ではそのクリーチャーとはどういうものなのかを突き詰めるほうに興味がある。

ゆがんだ生物/生ものとしての絵画。それはどういう姿をしているのかを辿っていきたい。

​2026.01.28

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