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黄金町バザール「誰も知らないアーティスト」に参加


雪国 - 尾花沢の家 Snow Country - A house in Obanazawa / 2023 / wood,oil / h2000*w4000mm



「誰も知らないアーティスト」とはまた何とも広報しずらいタイトルだけど、実際僕のことなど誰も知らないし、そういう意味ではなくて多様化し複合化するアーティストという存在の定義不可能性みたいなことを言いたいらしいので、であるなら僕はいわゆるありふれた油絵を描く人なので複雑な存在ではないような気もするが、今回の絵に関しては雪囲い(のような構造物)に油彩で描画するという謎さはあって、東北からやってきた妙な画家というくらいには言えるのかもしれない。


またこの雪囲いのような構造というのは、隙間が空いていて、もっと言えば一枚一枚外れて解体できるという、それは運搬の利便性を追求した結果でもあるが、言うまでもなくそれは西洋的な油彩画の形式である「Oil on canvas」を解体し、ゆがんだ奇形の日本人、東北人、エミシが生み出す奇妙な油彩画として表現するため開発した構造なのである。


組み立ての途中

現場で加筆


この作品は制作途中の状態で展示となるが、そもそも、いわゆるタブロー的な完成を目指さないことも特徴である。それは前述の一枚一枚外せて隙間も調整できる構造や、隙間によって背後にちらつくビル群や道行く人々が無秩序に画面に取り込まれてしまうこと、不均一な板の長さゆえにキャンバス的な矩形に整理されていない点、加えて屋外において風雪に晒される結果として汚損したり破損したりすることも織り込んでいることによって徹底されている。加筆することもあろうが、しなくてもよい。いずれにせよこの作品は、どこかの段階で放置される運命にある。このことは、白黒つけないグレーさに作品を置くことになる。それはこの京急の高架下という謎の空間、グレーゾーンにゴースト的にイメージを立ち上げることにつながる。東北の、すなわち滅びゆく日本の先端的な状況として、さらには都市の未来的状況として、時空間を超えて挿入されたような状況を作り出している。


洋風の人-關山隧道  Western-style Man - Sekiyama tunnel / 2018 / jute, wood, English newspaper,etc / h1830*w2800mm


会場にはほかにも2018年制作の「洋風の人 - 關山トンネル」を合わせて設置している。

これは明治の初めに初代山形県例となった薩摩出身の三島通庸が行った土木事業の一つである、山形県と宮城県の境界にある關山峠に作られたトンネルの前で、息子を抱えながら古代ギリシャ彫刻のヘルメスのポーズで立つ自画像を描いた作品だ。西洋化を徹底的に推し進めた結果身も心も西洋人となったつもりの日本人だが、その身体はいびつでとても古代ギリシャ彫刻が描いた理想の身体とは程遠いものであるという自虐的なテーマで、しかしそのヒョロヒョロの身体でかろうじて立っているという、あるいは未来に託そうという、当時子供が生まれたばかりの僕自身の覚悟を示したものでもある。

この作品もまた、保管状況が悪いこともあるが、もともとジュート麻で手作りしたキャンバスでもろいことはわかっていたので問題ないが、裂けて背後が見え、隙間風が抜けている。このように作品が壊れていくことは僕にとってとても好ましいことだ。必死で西洋的な「Oil on canvas」を目指したがそれは達成できなかった、が、しかし。という、いびつなエミシの精神をここに示していると思えるからだ。


こういう、勝手に背負っている東北性を黄金町に持ち込むことの有効性や本展における意義などは、もはや企画者や鑑賞者に判断をゆだねるしかないが、この国際色豊かなアーティストたちに加わったことで、改めて自分の特性、問題意識、背負うべき、あるいは背負ってしまっているものについて意識し、自覚せざるを得ない機会となった。


大岡川対岸から作品を望む


<公式展示記録映像>


<後藤のインタビュー映像>

© 2019 TAKURO GOTO

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