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東北芸術工科大学卒業制作展と外丸治展から考える、作品制作の方法論と、東北における芸術実践の方向性について


美しく雄大な冬の蔵王山


 山形市の本庁にある「山形クリエイティブシティセンターQ1」内にあるギャラリー「THE LOCAL」にて、木彫作家である外丸治さんの展覧会を見た。外丸治さんは、東北芸術工科大学を卒業した木彫の作家で、山形市長谷堂の古民家を拠点に制作している。その古民家を自らリノベーションして暮らしていて、そのお披露目を兼ねた自宅での展覧会にお邪魔したときに、和の建築の美しさと見事に調和しながら、しかし異様な個性を漂わせた繊細な木彫作品群に度肝を抜かれた心地がした。今回の展示では、会場がホワイトキューブ的な空間だったから、また違う印象ではあったけど、相変わらずの異様な執着というべき彫刻と彩色には、他に類を見ない強烈な個性や凄味が感じられた。そのように、作品が素晴らしいことは言わずもがな、今回は特にステートメントが印象に残った。「木は木材になってからも、中に樹液を蓄えていて、生きてるか死んでるかわからない仮死状態にある。そして木材は、年月が経つ程に強度を増す」と、大まかにこのようなことが書いてあった。彼が居住する空間での展示を見ていたからなお、その言葉は強い説得力を持って、作品の必然性を高めているように感じられた。


 同じ日に、その足で東北芸術工科大学で開催されていた卒業制作展を見た。僕が卒業した2年後の卒展から、会場が美術館から大学に変更になって、その時の執行部と学生間の荒れ方はすさまじく大変な教育効果であったと思われるが、あれから10数年を経て、すっかり市民みんなが楽しむ、山形の冬の一大イベントになっている。その、市民への浸透の仕方は目を見張るものがあり、まったく芸術に関心が無さそうに見える人が、僕が芸工大の卒業生だとわかると「毎年卒展に行ってるんだ」と嬉しそうに話すのも珍しくないほどだ。そしてぼくにとっても、芸工大の卒展という、オールジャンルのごった煮カオスイベントはとても重要で、芸術に触れる貴重な機会だし、考えるきっかけにもなるし、自分自身の問題意識の変化も自覚できるしで、これがあるから山形に居続けるということも言えるほどなのだ。


 その中で、美術棟の作業室を会場に個展を展開していた修士の斎藤志公という方の作品が印象に残った。僕の盟友というべき大槌秀樹さんの作風を思い起こさずにはいられない、工芸をパフォーマンスで再解釈するものだった。自身の身体に泥を塗りこめて大きな紙の上で動き回ることで、擦りつけられた痕跡が壺の絵になっているというもので、その絵や写真や映像を用いて空間を構成していた。これもまた、「人間の体は多くの水を貯える器であるから、身体が器であるということを再確認する」というステートメントが印象に残った。


 さて、この二つの個展において、改めてステートメントのもつ意味や作用を確認できたことで、最近に僕が取り組んでいる文教の杜での仕事と、作品制作とのつながりを考えることができた。その文教の仕事は、大半が「合意形成」のために費やされているといえる。多くのお金を集めて「そのお金をあなた方はどのように使うのですか?」と問われれば、適当に好きなようにできるわけもなく。自分ができる限りに必然性を高めて、説得力のある物語の船を作って、みんなに乗ってもらう=合意形成する必要がある。このプロセスのために、言葉や写真やイラストや図やデータを使ってスライドを作り、魅力的に見えるようプレゼンする。そして、その事前段階として、現状の問題認識と課題設定、それを解決するために行う事業計画とその到達目標の設定、そしてその必然性を裏付ける上位法の確認といった調査の作業があって。それはもう、ほとんど作品というか、展示というか、キュレーションと一緒ではないか。こう考えると、作品というのは「合意形成が重要だ」ともいえるし、「合意形成に過ぎない」とも言えそうだ。みんなが「この作品はよい作品」という物語の船に相乗りすることができれば「認定」をもらえるとでもいうような。


 実際に、外丸さんの展示では、ステートメントと作品が強固に合致していると感じた。その妙な形態や、執拗なれ繊細な彫り込み、そして岩絵の具による着彩についても紐解けた。僕は何か、ステートメントを「作品解説」と混同していたかもしれない。それは一見、必然性を高めているようでありながら、何か鑑賞の関わりを排除するような、突き放した印象になってしまうのだ。「みんなが乗れる船」というのは、乗りたいと思わせるように誘惑するものでなければならない。そこには、昨今の観光行政でも使われる「関わりしろ」がキーワードになるのだ(いかにかつての自分が、自分自身を強固に自分を守ろうとしていたのか、そしてそれがそのまま表現に出ていたのだと思うと、なんとも愚かしく恥ずかしく情けない気持ちになるばかりだ)。外丸さんのステートメントは作家の実感が感じられながら、解釈の余地を残す書きぶりになっていたので、その感覚を追体験するような形で共感することができた。


 さて、ここでもう一度、芸工大の卒展に話を戻したい。今年は2年生以降にコロナ禍での大学生活となった学生たちの卒業制作展なので、そのことが大きく影響しているだろうことは想像に難くないが、全体的にややおとなしめの印象だった。そんな中で、今回一番アートっぽく受け止められたのがプロダクトデザイン学科の展示だった。問題設定や素材の選定といった調査部分と、物体としてのアウトプットが気持ちよく合致していて、現代の社会問題やテクノロジーと向き合った結果として生まれた作品であることが伝わるので、きっちり合意することができたし、アートとして見ても上等な作品のように感じられたのだった。それは逆算すれば、アートの価値や、社会的な役割や、今ホットなテーマというのが時代とともに移行していて、今回のプロダクト的なアプローチが一番有効だとも言える。自己表現としての絵画というものが、その訴求力を失って、多くがデジタルアートに移行し、それがいま猛烈にAIに置き換わろうとしている(その中で、かつての絵画はひっそりとその姿を消して、意外と残るのが画壇的なドメスティック絵画だったりするのかもしれない)。加えて、世界で白人至上主義的な欧米支配の構図が、非欧米圏の台頭によって大きく移行しようとする只中にあって、アジア圏のアクティビズムアートの潮流が台頭していて、それは西洋圏にとっては野蛮人の文明化プロセスへの熱狂という側面と、経済活動の停滞へのイノベーション機能として歓迎する向きがあると想像するが(そして結局主導権を譲る気はさらさらないという傲慢さも)、いずれにせよこの社会に風穴を開ける必要性や欲望を多くの人が共有していて、かつてないほどにアートの力、アート思考が注目されているという現状がある。そういう中にあって、美術科にはそのような表現を期待したくなるのだが、どこか型にはまったものが多い印象で、イノベーティブな欲望にかなうアウトプットが見られなかった。プロダクトもそういう意味では弱いけど、この手順や方法論が重要だし、美術科に欠けているものだと感じた。


 しかし、ここまで書いておきながら、実のところの本心を言えば、そんなことなんてどうでもよいのだ。合意形成なんてどうでもよいし、むしろ合意されたら負けというか。8割くらい合意させることが重要なのだ。残り2割は手が届かない感覚というか。例えば外丸作品には、ステートメントを読ませる凄味と「わからなさ」があった。その「わからなさ」が誘惑の正体なのだ。その時には、力強く堂々と「これが自分の作品」だという開き直りが重要になる。場違いや、無知や、恥を超えて提示された作品の前で、結局すべての人々はひれ伏すことになるのだ。クオリティや、量や、大きさや、流行とは全く別の次元で、そういう価値がある。法外で、カオスで、未分化なもの。ここにアートの本質があるのに、なんだか合意ばかりを問題にしているのではないか? 美術科にいっそう期待したいのはその部分で、逸脱とか法外への誘惑とかそういう力を発揮しなければならないのだ。元から社会への適合など度外視に、自己表現の欲望を、AIを超える形で、人間様の不完全さや不安定さを最大限に生かして出力するべきなのだ。それなのに、マーケット的な動向に目配せするばかりでは、結局は東京藝大を頂点とする美大ヒエラルキーも、それを基盤にした日本の権威的な美術業界の牙城も崩すことはできない。だからと言って「山を描く人が多いよね」というような些末な差異を強調することでは、都市のアートファンの異国趣味を満たす以上の効果は得られず、ますます東北が消費されるだけの搾取構造を強化することになる。その問題を乗り越えて、構造を明確に批判し、真にここから生まれる表現を創造する必要がある(そういうものは本当は既にたくさんあるのだ)。そして、その乗り越えるべき象徴的な存在が「東北画」なのだ。


 東北画は強力だ。何か、作品の外観に土着的な要素が含まれていれば、たちまちそこに回収されてしまうほどに。僕は依然として、東北画は結局のところ、日本のドメスティックなアートシーンの構造の中で成立したもので、異国情緒的な地方搾取に過ぎないと感じているから批判的な態度をとっているし、山形藝術界隈の活動においてもそれを繰り返し主張してきた。昨年にカイカイキキギャラリーで催された展覧会「東北画は可能か?-生々世々-」についても、そうした構造を強化してきたことの帰結であって、一つの達成とも終焉ともいえると考えている。

 東北芸術工科大学は、開学当初から民俗学者の赤坂憲雄が提唱した東北学を論理的支柱にして展開してきた経緯があって、東北で美術を実践することの意義や必然性を立ち上げる使命があったのだと考える。東北画もそれは同様で、奈良からやってきた三瀬夏之介という作家が他者として東北を観察して、東北で美術を実践することの必然性を高める方策として、ある種ステレオタイプな土着的モチーフを選択したので、どうしても搾取的な構造をはらんでしまうのだ。そしてついに、ヒエラルキーの頂点たる村上隆のギャラリーで展示することで、もともとは「東北画は可能か?」という学内チュートリアルの一つに過ぎなかったものが、権威的なお墨付きによって合意がなされ、ついに疑問符が外れて「東北画」として成立したのだ。一回り上世代の作家によるこの偉業は、東北で制作する僕たち世代の作家にとっては、それこそ巨大な山のように横たわっているのだ。


 僕は、その山を乗り越えたい。外丸さんの作品はいかにも東北画に取り込まれそうに見えるのだが、軽快にその縛りを回避して、何か突き抜けた存在感を示している。地に足をつけた歩みによって、そして予定調和の合意形成を堂々と逸脱する勇敢な振る舞いによって、その山は軽く踏破できる、あるいは飛び越えてしまえるのかもしれない。

© 2019 TAKURO GOTO

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