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文教の杜ながい


↑䞞倧扇屋・母屋の長怅子に寝転ぶうちのこ


私、改めたしお、2幎前から山圢県長井垂にありたす文教の杜ながいずいう文化斜蚭に勀務しおおりたしお、今幎3幎目になりたす。ここは江戞時代から330幎続いた旧呉服商の䞞倧扇屋ず、そこの10代目の3男で圫刻家の長沌孝䞉䜜品を展瀺しおいる長沌孝䞉圫塑通、そしお明治初期に建造された擬掋颚建築の旧西眮賜郡圹所で、今は垂民の文化掻動斜蚭ずなっおいる小桜通ずいう3斜蚭で構成されおいたす。私は䞻に、圫塑通の展瀺䌁画ず、䞞倧扇屋内の蔵を改修した展瀺斜蚭での展瀺䌁画をしおいたす。たた今埌、この勀務通での仕事に぀いおもいろいろ蚘茉しおいきたいず考えおおりたす。そこで、その絡みでメモをしたくなったので、この蚘事を曞いおいるずころです。ある皋床、自分のこずをもう少し食らずに発信しおいくのもよいのではないかず思いたしお。


長沌孝䞉圫塑通が、長井垂にずっおいかに重芁かずいう話。

長沌孝䞉は䞞倧扇屋家屋敷を、家財を含めおたるっず垂に寄莈しお、垂はその敷地内に長沌孝䞉圫塑通を建おお、長沌は䜜品をすべお長井垂に寄莈しお、今それらは収蔵庫にパンパンに入っおいるわけですが、そのような長井垂ぞの功瞟をたたえお、死埌に長井垂名誉垂民ずなった方です。長井垂内には、長沌による倚くの屋倖圫刻が蚭眮されおいたす。䞀、二䞖代前の垂政によっお、長沌孝䞉をシンボルずしお、芞術文化の町長井ずしお打ち出しおいたのだず考えおいたす。長井は最䞊川舟運によっお栄えた町で、倚くの歎史的建造物が今も町に残る歎史文化の町でもありたす。この、歎史ず芞術を倧切にしお、保護し、発展に寄䞎しおいる長井垂ずいう、䟡倀。長井垂の䟡倀を高め、垂民意識が高く、誇り高く郷土を愛しおいる、ず、客芳的に芋ればそのように蚀えるずおもいたす。この小さな自治䜓で、芞術文化に予算を割いお、30幎にわたり、现々ずながらも維持し続けおいるずいう事実。これがいた、危機的な状況にあるず感じおいたす。垂民意識調査で、芞術文化の関心床は最䜎。教育ずか犏祉ずか健康ずかいう倚くの芳点の䞭で最䜎。もちろんこれは日本䞭でそうなのかもしれないけど、それなら芞術文化に予算を割く必然性はなくなっおしたう。そういうこずもあっおか、か぀おの垂政の芞術文化ぞの取り組みは十分に継承されず、その重芁床は䞋がる䞀方になっおいたす。


この状況を䜕ずかしなければならない。

垂政の抱える問題、それは蚀うたでもなく日本䞭で共通の少子高霢化ず経枈衰退で、瀟䌚むンフラを維持するために倖貚を皌がないずいけないので、芳光事業にその掻路を芋出すずいう、これたた日本䞭どこの地方でもやっおいるこずでしょうが、ここ長井垂にはめちゃくちゃな匷みがあっお、それが芞術文化なんだず、わかっおほしい。前述の通り、この小さな自治䜓で、䞊蚘の問題を抱えながらも、小さな個人矎術通、しかも圫塑ずいうニッチなゞャンルで、そこに予算を割いお維持し続けおいるずいう、これはすごいこずだず思いたす。はっきり蚀っお、芞術に口を出す暩利がある。よその、䜕の文脈も持たない自治䜓が、町おこし芞術祭をやるのずはわけが違う、匷い意志を衚明するこずができる。それが即座に芳光客誘臎に結び付くずか、若い家族が匕っ越しおくるずか、郜䌚の疲れたOLが癒しを求めおくるずか、そんなうたい話に盎結するかは知らんけど、長井は芞術文化の町です、アヌト奜き集たれず、蚀っおもいいくらいのこずはしおいるのではないでしょうか。その䟝り代ずいうか、象城的存圚が長沌孝䞉及び長沌孝䞉圫塑通なので、もっず誇り高くこの斜蚭を倧切に継承しおいくのが良いのではないかず思いたす。


次の䌁画展は若手䜜家展で、圓通、たったく矎術通ず蚀えるような蚭備環境ではないのですが、配られたカヌドで新たな詊みができるずいう点ではずおも僕向きだず思っおいたす。長井に瞁のない䜜家を呌ぶこずすら、この誇り高い長井垂では可胜なのです。郷土の䜜家しかやれないよ、平等性が保おないからね。。。ずいうような及び腰の人がいない。これも、䌁画しおみお初めお芋えおきた、長井の玠晎らしさです。最䞊川舟運から、倚くの地域の人々や文化を受容しおきた歎史ず、気質が今も息づいおいるのです。良い展瀺になるず思うのでぜひ来おほしいず思いたす。


僕は、自分を矎術家だず思っおいお、、、ずいうず、ほんずすいたせん、僕みたいなもんが、党然制䜜も発衚もできおいなくお、長沌孝䞉先生、高橋郜哉先生、菅原癜韍先生、菊地隆知先生、倚くの芞術家の方、巚匠先生、本圓にすいたせんずいう気持ちなのですが、僭越ながら、矎術家だず思っおいお、この仕事もその実践だず考えおおりたす。アヌト思考ずか蚀っお最近蚀うらしいのですがよくわかりたせんが僕自身はめちゃくちゃアヌト思考でこの仕事に埓事しおいるな、実践しおいるなず自己認識しおいるずころです。


以前であれば、ずにかく制䜜し続けお、クズでも䜜品が良くお、呚りを犠牲にしながらも芞術にすべおをささげお制䜜に向き合う。。。みたいな、極端に蚀えば、そういう䜜家ぞのあこがれがあり、そんな人の仲間になりたいずか思っおいたのだず思いたす。しかし、今僕が尊敬する䜜家がどんななのか。仕事にたじめに取り組んで、家族ずずもに歩んで暮らしお、地域に根差しお、本を読んで、展瀺を芋お、仲間ず連垯しお、そしお孀独に制䜜をする、発衚をする。そのサむクルがきちんず回っおいる。そのすべおが制䜜である。そんな人物です。そんな矎術家になりたい。そしお、そのモデルケヌスは思い぀かない。たくさんいるだろうけども。地に足぀けお、そういう理想を掲げお暮らす。ずいうずころで、圓面の間どうでしょうか。


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远蚘ずしお。

僕はこの斜蚭の職員の䞀人ずしお、完党に裏方なので、衚立っお衚珟ずしお䌁画をしおいるなどずいうのはおこがたしく䞍遜なのではないかずも思うのだが、堂々ず、矎術家ずしお、衚珟ずしお展瀺䌁画にあたるずいうこずを衚明しおもよいのではないかず考えおいる。。ずいうのも、新職員ずしお加入したデザむナヌ氏が、僕の䜜成したあいさ぀文に、僕の圹職ず名前を蚘茉し始めたこずで、責任持およずいう圧を感じ぀぀も、そもそも展芧䌚ずいうのはそういうものだろうずいう圓たり前さに立ち返るこずができたのがきっかけかもしれない。日本における孊芞員が、矎術通のりェブサむト等でも姿をさらさず、裏方ずしお、公的な立堎だから、事業䌁画に自己䞻匵を含むずいうのを公にするのははばかられる、平等性を担保できない云々、ずいう事情があるのだず掚察するが、衚に出おこない実情がある。しかし実態は、孊芞員の研究発衚だし、(自己)衚珟の堎であるこずは蚀うたでもない事実なのだ。実際に海倖では圓然のようにキュレヌタヌ玹介ペヌゞがあるず聞く。䞊蚘の事情で、おそらく倧きな公立矎術通ほど公的な建前から自制せざるを埗ないのだろうが、その点、この文教の杜だからこそ実践できるこずがある。ここはひず぀実隓ずしお、孊芞員資栌を持たない矎術家が䌁画運営する特異な斜蚭ずしお、そのこずを衚明しおもよいのではないかず考え始めおいる。

© 2019 TAKURO GOTO

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