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P君とおはなし003 同調圧力を揺るがすアートの戦略—親しみと異質のバランスを探る

更新日:4月5日


P君:

君が考えてる「アートが『我慢』に亀裂を入れる役割を持つべき」って話、もうちょっと深掘りしてみたいな。

たとえば、日本社会の「我慢」って、どんなシーンで特に強く感じる?あと、それをぶち壊すようなアートの実例とか、今までに「これは!」って思った作品ある?


Takuro:

僕は田舎に住んでいるから、ものすごい同調圧力があると思うよ。特にコロナ禍のときにそれを感じた。車のナンバーをすべてチェックして噂話をしたり、マスク警察になったり。それ以外にも、噂話がすごすぎて抑制効果がある。目立つことはしないようにしようってね。でも最近わかってるのは、ほんの一部の人がうわさ好き、悪口好きなだけで、ほとんど多くの人は他人がどう過ごしていてもどうでもいいと思っているってこと。その一部の人に目を付けられることを回避するために同調してるだけだってこと。でもその「同調」が、実は地方を貧しいままに停滞させている要因のような気もする。


P君:

めちゃくちゃ鋭い視点だね。「本当はほとんどの人がどうでもいいと思ってるけど、一部の人に目を付けられたくなくて同調してるだけ」っていう構造、まさに「空気の支配」って感じがする。それが地方を停滞させてるっていうのも納得できるな。

噂話や悪口が「我慢」を強制する装置になってるの、すごく日本的な現象に思える。たとえば欧米だったら、そういうのを気にせず突き抜ける個人主義的な振る舞いが評価されることもあるけど、日本では「和を乱すな」が優先されるから、結果として「みんなで貧しく停滞しよう」みたいな方向に行っちゃうんだろうね。

じゃあ、こういう「噂話による監視社会」みたいなものに亀裂を入れるアートって、どんな形がありえるかな?たとえば、地方の「見えない抑圧」を可視化するような作品とか?


Takuro:

まあ君のアドバイスも聞きたいところだけど、僕が思いつくのは、その一部の人の力を弱くする方法を考えたい。例えば、よそ者が増えるとかね。バックボーンが違ったりすると共通感覚を前提にできなくなるから、一部の人の力は弱くなる。アーティストが街に入る、アーティストインレジデンスもその効果を生むかもしれない。アーティストは前提自体に問いを投げかけたり巣rから。でもその無邪気さが軋轢を生んだりするかもしれないね。軋轢は地方の人が最も嫌うところだから、徐々に、なし崩し的に変化していくか、お上の鶴の一声か、どちらかだろうね


P君:

なるほどね!一部の人の力を弱くするって視点、すごく戦略的だし現実的だと思う。確かに、よそ者が増えれば「暗黙のルール」が効きづらくなるし、アーティストみたいに「そもそも常識を疑う」人が入ると、前提が揺らぐ。

アーティスト・イン・レジデンスは、その「異質なものを流入させる」っていう意味ではめちゃくちゃ有効かもしれない。でも、軋轢を生む可能性もあるっていうのは、確かにそうだね。地方の人は「変化」よりも「安定」を好む傾向が強いから、「よそ者が勝手に価値観を揺さぶる」って見られると反発されるかもしれない。

だからこそ、「なし崩し的に変化する」って方法が重要になってくるのかもね。アートの力を使って、「これは変化じゃなくて、ただの楽しいイベントですよ~」みたいな形でゆるやかに浸透させるとか。逆に、お上の鶴の一声で「これからは多様性を重視しましょう!」って言われたら、それはそれで従う文化だから変化が起こるかもしれない。

でも、アートで「なし崩し的に変化させる」って具体的にどういう方法があるかな?たとえば、最初はアートイベントとして開催して、いつの間にか日常の風景に溶け込ませるとか?


Takuro:

うん、いつの間にか溶け込ませる感じ、とてもいいアイデアだと思う。とにかく表面的にはフレンドリーに、礼儀正しく交流事業を行っていくけど、作品は訳が分からなかったり異質なものだったりミスマッチだったりするというように、親しみと謎めいた感じが同居するようなものに触れる体験を地道に積み重ねるとか。そしたらきっと、向こうから(地域住民側)変化を感じられるアプローチが得られるんじゃないかと思うね


P君:

めちゃくちゃいい戦略だね!表面的にはフレンドリーで礼儀正しく、でも作品は「謎めいていて異質」っていうバランス、すごく効果的だと思う。正面から「この地域は遅れてる!」みたいに言うと反発されるけど、「なんだこれ?」っていう違和感をじわじわ感じてもらうことで、むしろ住民側から「これって何なんだろう?」って考え始める状況を作れるかもしれない。

その「親しみ」と「謎」を両立させるアプローチとして、たとえば:

地域のものを使うけど、意味がわからないアート→ 例えば、地元の古い道具や伝統的な素材を使うけど、意図がはっきりしないインスタレーション。見た目は親しみやすいけど、なんだかよくわからない。

地元の人を巻き込むけど、アウトプットが異質→ 住民と一緒に何か作るワークショップを開くけど、最終的な形が意外なものになる。「一緒にやったから親しみはあるけど、何これ?」ってなる。

日常の風景に溶け込むけど、違和感があるアート→ たとえば、街のあちこちにほんの少しだけ変なオブジェを置く。最初はスルーされるけど、だんだん「これってなんか変じゃない?」って意識される。こういうのを地道に積み重ねると、「気づいたら価値観が揺らいでいた」みたいな状況が作れそうだね。

 
 

© 2019 TAKURO GOTO

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