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プロフィール
登録日: 2019年4月1日
記事 (44)
2026年3月2日 ∙ 2 分
【見た】自分の中に確かにいた先達たち、その突き抜けた強さ
長井の雪 諏訪さんの展示が素晴らしすぎた。 この、絵画の人権が恐ろしく凋落しているような時代にあって、ストレート直球で絵画を打ち出して直球で圧倒的な空間を生み出していた。 あまりにも、まっすぐに、研ぎ澄まされた世界観に、他の追随を許さない強度があった。 現代美術、コンテンポラリーアートというものが、僕にとってはやはり、幻術というか、惑わしのまじないみたいな言葉になっている。その言葉を取り払って作品や展示と向き合わないといけない。そのことはとても難しい。美術館で展示をする、ということの幻術があって、作家はどうしても肩に力が入って、美術、あるいは現代美術であろうとしてふるまってしまう。現代美術マナーを踏まえて空間を作ろうとしてしまう。本当のあなたの魅力はそこにはないのに、ということが、幻術によって見えなくさせられてしまう。バガボンドの「天下無双はただの言葉じゃ」みたいに。 諏訪さんがキュレーターとともに見せたのはまさに、幻術のかかっていない、ストレートな展示だった。 僕が、本当にポンコツだった、今でもそうだけど、その時に出会って、一時的に教えを請うた人というのがいて、その人に見てもら...
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2026年2月14日 ∙ 2 分
【案内】Residual Creature
夜の展示風景 山形市から小国高校に通っていた10年余り、飯豊のあたりにひときわ目立つ廃屋があって、それは年々崩れていって、先日久しぶりに訪ねたらきれいに何もかも無くなっていた。別にこの家のことを何も知らないし、思い出に残そうとか切ない気持ちとかあるわけじゃないし、誰かに紹介したいとかでもないし、この家にもかつて家族の営みがあって、、とかしんみりしたいわけでもなくて、この最高にかっこいい状態を記録しておけて良かったと安堵するばかりだ。 そして、この家がここに建てられたことも、暮らしがあったことも、だれも暮らさなくなったことも、崩れ落ちていくことも、そして更地になったことも、ほとんど誰も知らないというところに、妙に共感する気持ちがした。僕自身も、そういう誰も知らないところで、長い時間と距離を迂回しながら変容した西洋絵画を学んで、その、本当かどうかもよくわからない、正統性が疑わしい知見に基づいて作品を作っているわけで。 そういう僕の作品が、西洋の長い時間をかけてブラッシュアップされて洗練されて画材屋さんで売っている矩形のまっさらなキャンバスの姿では、あまりにちんちくりんというか、似合わ...
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2026年1月6日 ∙ 4 分
【思った】フェイク時代の終わり、いやこれまでもこれからも
まだ耐えてる小屋 写真が発明されたときに、人々はとても驚き興奮したよね。 写真の登場が印象派を生み、キュビズム、抽象表現へと絵画のステージを変化させ、映像も登場して、アート自体の変化を促進した。その起点に写真の発明(光学的に図像を紙などに定着させる技術)があったことは疑いないと思う。 単に記録する機能として絵を描いていた人の職能は奪われた。絵画技術というのは、「油彩」という先端技術を扱う工学的なものでもあった。それが次世代の技術の登場でお株を奪われた。そして油彩は芸術として歩み始めることになった。 さて、AIによる画像出力は、そういう観点からいうと写真に匹敵する事象になっているだろうか? もちろん、大きな分岐点になっていることは疑いようがないと思うけど、このままAI画像が普及していくと、人間はどう変化していくんだろう? 今でも、ネット上の画像や映像はフェイクと見分けがつかなくなっているし、何しろ、デジタルアートや写真、小説まで、コンペで大賞を獲得したりしている。それはつまり、AIが出力したコンテンツが人間を感動させる力を持っているという証拠だよね。それは、何を意味するんだろう。...
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