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【思った】生ものとしての絵画

更新日:1月6日

描いて剥がして削って張って描いて剥がして削ってという作業
描いて剥がして削って張って描いて剥がして削ってという作業

最近は、早朝に毎日1~2時間作業する日々を積み重ねている。

締め切りがあればそれにかかりっきりになるけど、そうじゃないときはじっくりと、気の向くままに作業や実験をしている。特に目的もないまま、気に入る感触を探る。


特にこのところ気に入っているのが、絵画自体を生き物とか生ものみたいに考えようとすることで、イリュージョン的なものとは別の在り方を探っている。

絵画のイリュージョン性を保つには、フラットな画面に均質な艶感で筆後の残らない写実的なタッチを用いるのが最も正しそうだけど、凹凸や艶感の違いやコラージュなどで絵画の物質感を高めたら、徐々にイリュージョンは崩壊して、ないまぜになる。そして世の中のほとんどの絵画は、その混ざり具合の強弱のグラデーションの中にあるし、こと油絵というメディアにおいてはそのことこそが、多くの人が感じる魅力の本体のように思える。


物質性を高めるとはそのまま彫刻的なものに近づくことでもあるだろう。ステラとか、ラウシェンバーグとか、ジャッドも?壁に張り付いて垂直性を保つという意味では?そういう作家になると、もはや先に述べたないまぜの魅力は崩壊していて、人はそれを物体としてしか認識できないだろう。


僕の場合もその綯い交ぜな感じを大事にしている。イリュージョンと物質性。どう言い換えられるかな?幻想と現実というか。その魅力を自分なりに引き出そうとしている。


特に今の作業では、木枠を作るところを重視している。市販の木枠を使うこともあるけど、削って使う。それは、絵画のイリュージョン性を支える「矩形」をゆがめることで現実に引き戻そうとすることでもある。あるいは、日本的な風土感にあうように、柔らかく丸い、朽ちたフォルムにしようという意図もある。なんせイリュージョンとして描いているモチーフが腐った果物とか家屋とか植物とかだから、きちんとした矩形は似合わなかったんだよ。今のかんじ、すごくしっくりくるんだよ。


木枠というのは、キャンバスを張れば見えなくなるわけだけど、それでも木枠を彫刻していくということで、その凹凸は画面に必ず影響がある。ということは、木枠削りは間接的に画面に仕掛けている行為なんだ。でも、能動的じゃなくて、受動的な態度でもある。この、能動的行為と受動的行為が今の僕の制作にとっては重要なんだ。


つづく

 
 

© 2019 TAKURO GOTO

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