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【思った】周りが見えていなかった頃に帰る


何にもなかったころ。自分しか見えていなかった頃に戻る。

スマホもインターネットも無い世界。

そのころに、自分のことばかりに集中して、制作していた。

大学生のころ。


母校の恩師の木原先生が退任するということで、パーティに行った。

懐かしい顔ぶれと再会した。


木原先生は、僕が人生を振り返っても最も迷惑をかけた人だったと思う。

とても特殊な関りになった。


とんでもなく馬鹿で自己中心的でいい加減でずさんでだらしない子供みたいな時期が長く続いてしまった。とにかくとんでもなく馬鹿だった。(今もたいがいだけどかなりマシになった。)


絵を描くのが好きで、褒められるのも好きだったけど、兄の才能には全く及ばない。兄は高校で美術部に入った。だから僕も最終的には美術部に入部届を出した。

高校の美術部は多くの先輩が美大に進学していて、美大というものを知った。先輩の残した参考作品がすごかった。県の美術展では何年も連続して最高賞を受賞する高校だった。指導していたのは伊藤辰先生で、なんとも一言で語れないすごい方だった。同期の友人もすごかった。勉強もできて、絵もかなわない。才能がないなりに切磋琢磨しながら、僕は東北芸術工科大学に行った。


大学では特に木原先生に学んだ。筑波に行った高校美術部時代の部長が二紀展に出したというし、木原先生も二紀の会員だったので、僕はとりあえず一回の腕試しと思って大学4年の夏に二紀に出品して入選した。それは思いのほか高評価だったらしく、冬場になったら二紀の理事長が損保ジャパン美術奨励展に推薦してくれるという話があった。木原先生は「お前これはすごいことだ」と言った。当該展覧会は、当時安井賞の流れを汲むと言われていたそうで、各公募団体の損保賞受賞者半分と、推薦委員の推薦枠半分で構成されており、公募展ではなかった。結果的にその展覧会で僕は最高賞をもらった。ありがたみもわからないまま。ボケーっとした感じだ。僕の心はもう違うところに向いてしまっていた。授賞式で珍しく東京に行ったので、ついでに東京都現代美術館に行ったら、榎倉康二展をやっていて、めちゃくちゃ驚いた。というか、混乱と、衝撃と。さらに常設展で、サムフランシスの巨大絵画や宮島達夫のLED作品を見た。もうとんでもなく驚き。まさに衝撃。今思うと大学4年の22歳でそれだから、本当に、大学時代に隔絶された世界で制作していたってことだ。本当に何も知らないやつだった。その展示の後で損保美術館で見た自分の作品のしょぼさと言ったらなかった。チンケだった。もうここにいたくないような気持になった。


つづく

 
 

© 2019 TAKURO GOTO

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