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【思った】「美術業界のど真ん中」について

更新日:2025年10月19日




僕としては、「東京と地方の文化格差」という問題には、一応の回答が出ている。


現代美術というジャンルに絞って、美術館やギャラリー、美大やプレーヤーの数を比較すれば、まさに「地方に美は無い」ということになる。でも現代美術というジャンルを相対的に--過去のものとして見るというと言いすぎだけど、そういう視点に立つと、これからの美術の中心は土地に規定されるものではなく、いくつもの中心ということになると思うし、実際そう動いていると思う。


なので、現代美術のその先で、それを引き継ぎながら、「今の現場でどのような中心を立ち上げるか」という問いに移行している渦中であるという現状認識になる。


なので編集長の発言やそのありようは、僕にとってまさに「現代美術」のもっとも適したサンプルに見える。



GPT

今の話を整理すると


  1. 現代美術という種別で見た場合の格差

    1. 美術館・ギャラリー・美大・プレーヤー数…すべて都市集中。

    2. 「地方に美がない」は、現代美術というジャンルに限定すれば統計的にも成立する。


  2. 相対化された現代美術

    1. もはや唯一の中心ではない。

    2. 「過去のもの」とまでは言わないが、制度としてのピークを越え、相対的な位置へ移行中。


  3. これからの中心のあり方

    1. 土地によって決まらない複数の中心が立ち上がりつつある。

    2. 現代美術の次を引き継ぎながら、新しい「現場起点」の中心を立てる渦中にある。


編集長の役割/象徴性

  1. 現代美術という制度的フィールドのプレイヤーであり、その言説は「いまの現代美術」の限界やバイアスを示すサンプルになる。



数年前であれば僕も全く同じ意見だった。地元への愛憎、そこから出ない、出れない自分の活動を、開き直って開示したり揶揄したり卑下したり、卑屈になったり、時には中央へのカウンター、アンチとして危機の全線としての東北を武器にしようとしたり。そういうエネルギーが制作を駆動していた。


でも、まるっきり個人の出来事だけど、結婚、子供を経て、それまで戦う相手だった人物との和解、そして初めて定職に就いててんやわんや。そういうことを経て、すっかり別の人間になってしまった。というかルサンチマンみたいなものが霧散してしまった。


そしてさらに世界情勢の変化によって、ヨーロッパやアメリカへの不信感拡大、中国とBRICSの台頭、東京一極集中で日本の末端まで統治するシステムの限界、デジタル田園都市構想からの地方創生2.0、エネルギー技術の革新、インフラ老朽化、などの要因が、核としての東京は残りつつも日本各地にその統治機構の移転を現実のものにしようとしている。


さらにAIの進化によって、東大的な知性の大部分が民主化され、イオンモールもないような田舎にもその恩恵が及ぶようになる。


そして、そのAIとのやり取りを経て、僕はもう現代美術をやんなくてもいいや、となった。その仲間入りをするために頑張ることは無くなった。そうすると、現代美術が相対化されて、めちゃめちゃ面白いものに見えてきた。その面白さの延長上に、僕の実践があると思った。


つまり、「これからの美術はこれまでの美術と同じ姿をしていなくてもいい」ということ。それはもはや、現代美術である必要はない。現代美術は、何でもありということではなくて、徹頭徹尾、制度論だと思うので。現代美術も、一つの「イズム」にしか過ぎないという感覚。



さて、問題なのは、「これからの美術」のことだ。

僕の仕事は、今、まさに、この地で、どのような主流を立ち上げるのかということ。この地の文化モデルを立ち上げること。僕にとってはそれが、現代美術の次のフェーズということになる。

実はそれはまだ霧のようにつかめなくて、具体的な像は見えてない。

なのでまずは手を(足を)動かすことしかない。

この地域の「美術業界のど真ん中」というか、その前に、この地域の「美術業界」の姿を把握していくことから。

 
 

© 2019 TAKURO GOTO

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