【見た】PERFECT DAYS
- takuro goto

- 10月19日
- 読了時間: 3分
更新日:11月2日

遅ればせながら、ヴィム・ヴェンダース「PERFECT DAYS」を見た。
とてもよかった。
なんだか、この年になって味わえるものってたくさんあるんだなあと改めて。それは本当に驚きだ。昔は背伸びしながら見ていた退屈そうな映画も、今はものすごく楽しめるようになった。理解とかそういうのはどうでもよくて、映画体験として。
1人なんだ、ということを、とても美しく描いているように感じた。
いろんなものが、1人という存在として、それぞれ輝きを纏っているような。
その中で一番でっかいのはスカイツリー。
それらは、決して孤独というのとは違う、ささやかな心の交流をしてる。
少しだけ目配せしたり、ほんの少し会釈したり、交換日記みたいに○×ゲームをやり取りしたり。
ひとり、というのは、なんて豊かで美しいんだろうと思わせる。
こういう、独身おじさんの感じ。
僕も、この前までそうだったんだよ。いやいや、今もそうなんだよ。
そして、なんて美しい、ひとり、ということが。
一つ一つのささやかな孤独な心の交流が、一つ一つ光を放って、きらきらしている。でも、同時に影を重ねている。影は重なって、濃くなる。このことが、暗くも聞こえるし、励ましにも聞こえるのがいい。
僕も、人は嫌なんだ。と、わかりきったことを改めて思うことが多い。
人と関わりたくない。ぼくは、ものと関わっていたいと。
でも、一人で孤独でいようってわけじゃあないんだ。
みんな一人でいるし、みんな、一人と一人で、ささやかな心の交換を行う。
引きこもりだって、深夜にコンビニに行ったりするんだよ。そのことがどれほど、腑に落ちるか。そうだよね、というかんじ。
鏡を拭き上げるシーンの多さ。
自分自身を磨いているような。といっても成長みたいな意味ではなく、文字通り、穢れを落とすような感じだ。
トイレを磨くことと重なって、自浄というのか、
生活、人生、暮らしをきれいにするような。
雨が降っていることもまた。影が存在しなくなるのが雨の日。洗い流すような。
SNSとかの存在しなさ。
ネット以前の世界を生きているのだ。
そこに完璧さがあるのに、今は何なんだ。
もしかしたらちょっと昭和的な美化がありすぎるかもしれないけれど、共感してしまう。
世の中、いろんな価値観があって、お互いを否定したりしていて、それぞれの正義で、あるいは是々非々で、したたかに動いていたりするみたいだけど、彼もそういうものにうんざりしたんだろうな。あこがれてしまうな。そういう単純な物語ではないけど、心の持ちようとして。
僕は自分の価値観と心中するんだという気持ちだ。主人に忠誠を誓う家臣のように。主人が間違っているとか、得するとかうまくいくとか、どうでもいい。ただ忠誠を誓って、どのような結果になるかなんて価値に入らない。そのように生きた、という、それだけが重要なのだ。自分の美意識に忠誠を誓って、それを貫いて生きるだけだ。どのように死ぬかなんて、まったく選べないんだから。それは、結果をどこか遠くに追いやって、受動的に受け入れる心構えという、それだけだ。
