• takuro goto

続き

俺が歴史に名を残す

ということがもはやこれからの価値とはそぐわないということ、それはとても子供っぽい感覚で、それを受け入れない世界であると感じます。

これまでは、それは前衛的な、社会への抵抗を示すアンチテーゼとして機能していたと思います。1億総中流とか言って、画一的な同調圧力が経済成長を背景に善として肯定されていた時代の。俺は大人になどならない、という意味と価値があった。

いま、社会への抵抗を示すふるまいが何かというと、「まっとうな」ふるまいだと感じます。利他的で、全体の奉仕者として存在するようなこと。それが最大のアンチになってしまった。

損だとか得だとか、意味だとか価値だとか、それがいかに表面的で欺瞞に満ちているか、理屈と膏薬はどこにでもつく、というのは現代美術に対して私が抱くイメージで、同時に私自身もしていたことですが。

そういうものは終わり、無意味で良い、価値はなくて良い、歴史に名を残さなくて良い、作品も残さなくて良い、そういう創作に向かうことが重要だと感じます。

自分の意思や考えを突き通す、ということの不可能さというか、無意味さをとても強く感じています。意思や行動はすべて与えられたものでしかなく、それを全うすべきと感じています。日本の、山形の、後藤家の、次男として生まれるということの何一つとして選択していないように、何も選択していない。そのことがとても自由に、楽に感じます。