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20230513

町中にアートがあふれて、、というのは素晴らしい。その価値観を、限定的にしていなければ。海外の著名作家、現代美術家の作品にあふれれば、まちがおしゃれに。敷居も下がり多くの人がアートを愛し、、、いやいや、アートをみんなもうすでに愛している。現代美術が、単に、突き放して排除して価値観を限定して存在しているから、みんな嫌いっていうだけだ。みんな、絵を描くのも好きだ。老若男女問わず。つまり、趣味的な、県展的な、素朴な、表現や創造を愛している。みながみな、現代美術をやる必要はない。

一方それは分断ではなくグラデーションであるということもまた事実。しかも、上下ではなく、平面的な、対等な広がりを持つ。この時に、評価や批評の尺度が必要ないということではない。むしろ必要だが、特権意識ではない、常に相互関係に注目する視点が必要だ。突き抜けた研ぎ澄まされたファインアートと、庶民のカルチャースクール的表現との相互関係を見失わないこと。上下関係として見ない、アートワールドの事象として見ること。金銭の多寡にかかわらず。地位の、権力の大小にかかわらず。

そういう観点でならば、この田舎も立派にアートのまちになりえるのだ。アートが街にあふれ、みんながアートを愛好する町。

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