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20230512

エリート主義。制作者の多様性を口にしながら、その他関係者にはエリート主義を求めているのではないか。ギャラリーも学芸員もコレクターも多様なのだ。知識も専門性も動機も様々で、それらがぐちゃぐちゃしていたほうが好ましい。ある種のエリート層を固定していることにこそ問題があるのではないか。

 ギャラリーのセンスや美術史の知識についてどう考えるか。アートをセンスの良い生活のためのBGMにしていないか。軽薄な売買システムをどう考えるか。一般化、普及するとはそういうことだ。音楽も今やサブスクだ。円盤の物体としての価値すら消滅した。アートも、画像で売買される。NFTもある。そういう現代的な状況の中で、若い世代が育っていく。僕らがあこがれていた美術界の価値観はもはや有効ではなくなっている。軽薄な形でアートが受容されている。現代のギャラリーも、それに最適化する形で展開している。美術史という長いロマンではなく、瞬間的な刹那的な事象として。アートバブル。それによって普及が進んでいる。しかし当然、このブームは去る。そうしたときに残るのはどういう作品なのか。、とまあ、疑問を持ちつつも、おっさんとして軽薄な世界に参入するのもよい。僕は軽薄じゃないし、そういうことをわかっている人がいるし、トレンドとは無関係に見てくれている人もいるし。学閥的な偏見も無効だし。こうなってくると、いい時代とも思う。

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