• takuro goto

反省と修正-このブログを始めるにあたって

一番最初の投稿

「このブログを始めるにあたって」

https://bit.ly/3v5Hj0T


少し問題があるなと感じたので、追記です。

負い目もなく書いてしまう、として書いた箇所が以下ですが、


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とにかく3歳と1歳の子供がいる生活と職場での責務でもはや人生が隙間なくみっちり埋まっているため、油絵を描くなど今はまったく現実的でないのだ。それは、しばらくはやむを得ないと、最近ようやく受け入れてきたが、


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以上は、黙って消してしまおうとも思ったのですが、こういう反省は残しておくべきと思いそのまま、追記という形を取ります。


今、改めて読みかえすとこの「しばらくはやむを得ない」というのが問題だと思い、反省とともに修正したいと思います。とくに誰かに何か言われたということは全くありませんが、想像力に欠けた部分があると思いました。


私が思ったのは、それはずっと続くわけで、いずれ終わるというような感覚は、結局何も受け入れていないのと同じであるということでした。同じような立場だった先輩画家に「子供が大きくなるにつれて制作の時間もできてきた」という経験談をいただき、その話を「数年経つと自分の制作に没頭できる時間ができる」と解釈していて、おそらくまちがってはいないのですが、そのこと自体がちょっとおかしいと感じ。。うまく言えませんが。自分本意な感じがし、「制作」や「発表」ということの解釈自体を変更して取り組まないと、自分本意な感覚を引きずってしまうように感じています。


「制作」はそもそも自分本意なもので、、というのは、おそらく数年前までのわたしなら確実に考えるところですが、その事自体の疑念が生じています。エゴイスティックに、作家という唯一無二の存在として、評価を勝ち取り、歴史に痕跡を刻む、というストーリーへのこだわりが、ここまでの私の修練を駆動してきたことには間違いなく、今の状況も生んだわけですが、いま、その全てがおかしいと感じています。


これは言うまでもなく、今の世界全体のムードなのだとも思います。とか言うようにすぐ自分と世界が一体だとしてしまうのもおかしいのですが、コレクティブという芸術運動が盛んなのもそのことと関係しており、様々なハラスメントの暴露やバッシングも、そういった旧時代的なおかしさがようやく明らかになった象徴的な出来事なのだと思います。明確に、「俺」が「歴史に名を残す」というのが僕が抱いてきた芸術家像であり、これはある程度常識だったり、多くの美術家が共有してきた部分なのだと思いますが、というより美術史というものがそのように語られ形成されているという現実もあるように思うのですが、その事自体への疑念があり、私自身はだいぶ興味を失っているし、そういうことじゃなくて。。というのが何なのかを探っているのが現状なのだと感じています。

しかし同時に、自分のオリジナルな作品を制作している自称「美術家」であるという自己認識が今の自分の根底を支えているのであって、そこだけは決してゆるぎそうに無いとも感じています。