• takuro goto

このブログを始めるにあたって

今更ブログかよと思いつつ、個人的にSNSでこまめに何か意見を表明することには極めて消極的で、できることなら沈黙して粛々と日々の業務を積み重ねていきたいと思うのだけど、ここ数年なんの痕跡も残さず確認もできないままに目の前のことを処理することのみで日々が過ぎ去っていくので、その痕跡を残すことにする。


しかしそれなら公開などせずに自分のためだけに日記でもつけておけば良いのだが、とにかく徳を積むの逆で業が蓄積していくとでも言うのか、これまで美術家と自称して活動を続けてきて、一生芸術に身を捧げますなんて、思い込みである可能性を多分に含みつつも心から表明していた身であり、そしてそれは今でも心からの本心なのだけど、そのように表明し続け僕のこともそういうものとして評価していた人もいれば、仲間のようにともに歩んできた人もいれば、会ったこともないとかもう死人だとかいう人を同志と感じていたりした、そのようにして出会ったあるいは出会っていない人のすべて≒芸術というものに対しての罪の意識がなぜか知らないけど蓄積しているように感じているので、ここは贖罪の場であると同時に、この痕跡こそを制作と捉えることができるし、また日々の暮らしも制作と捉えることができるという、そのためのブログである。


つまり、エリック・ホッファーの波止場日記のようなもので、、これは彫刻家の西雅秋さんが講演で触れた本で、全くのピュアネスだった20代前半の僕はとにかく西さんにクソクソに影響を受けていたので、即買いした本なのだが、正しく読めているかどうかはさておき、どれだけ励まされたか。そして未だにそれをベースに生活・労働・制作を並列のものとして捉える論拠として勝手に大切にしているのだが、最近石巻の有間かおるさんが過去に工事現場の誘導員として勤めていたときに投稿していたブログがまさに波止場日記的で、、加えて直接話したときにもその話をしていたのだが、マンションの土台をどれだけしっかり丁寧に時間をかけて作っているのかという観察から、絵画における下地の重要さに気がついたと話しており、つまり全てが制作なのだと言っており、そのことは波止場日記や西雅秋さんと同じように強く僕を励ましてくれていて、まさに今、僕の人生はそういうフェーズなのだと感じている。


具体的に言うと、おまえその程度でヒーヒー言ってるの情けねえとか言われるだろうけど、とにかく健康でないものは村八分の現代においては規則正しい生活が重要なのであり、そのことも制作の一部なのであり、責任なのでなんの負い目もなく書いてしまうが、とにかく3歳と1歳の子供がいる生活と職場での責務でもはや人生が隙間なくみっちり埋まっているため、油絵を描くなど今はまったく現実的でないのだ。それは、しばらくはやむを得ないと、最近ようやく受け入れてきたが、本当に何故かすべての人に申し訳ない気持ちで、すまんと思っている気持ちもありつつ、このブログを書くことで、いやいやこのすべてが制作なのだと、僕自身納得できそうなので、すこしづつ、始めてみるものである。

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