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【見た】「2人個展 マイケル・ウー「私の体は環境、わたしたちの脳みそは世界」× 石川琢弥「できない事」」

更新日:11月2日

なんかふみきり
なんかふみきり

石川さんの作品

なんとなく自分と似たようなところが感じられた。勝手ながら。

別に、「顔」にこだわりたいわけでもなさそうな気がしていて、要は、いい感じのかっこいい質感を目指している人だと思う。オーガニックな、DIY的な、朽ちたような、ファクトリー感のあるスタイルに、ストリート風味を添えて、という。

そこが明確だからこそだけど、顔とか人物の正面とかいうモチーフ自体には特段こだわりがなく、はっきりとした印象は伝わらない。絵具の質感をどうしようかな、その依り代として「顔」を選んでるのかな、という印象だ。


マイケルさんの作品

彼の作品は文章化して説明するようなものではないだろう。パンフレットに掲載されている過剰な言葉の羅列は、もはや作品自体の鑑賞を助けるものにはならなくて、別バージョンとして示されたもの、あるいは作品の一部として見るものかもしれない。あるいは、単に根拠らしきものを示しているというアリバイ作りなのかもしれない。

展示は、会期中に大きく変容を続けているそうだ。僕が見たときには、展示はすっきりしていて見やすく整理されていたみたいだ。たぶん、いい状態のものを見たんだと思う。それでも、彼の展示は、こういうことが表現したいのか、と、明確に理解されるものではなくて、カウンセリングみたいな感じだと思った。いわゆるコンステレーションというような。テキストも、その断片的な要素に過ぎない。つまりは、彼の内面の中で、たまたま表出しているものに過ぎない。

本体は、そういう「たまたま表出しているものたち」の層によって見ることも知ることもできない。でもいくつか気になったこともある。

赤ちゃんの口が生々しい一方で、女の唇や体毛はざら紙のような質感。

飛んでいく飛行機は一つだけぽつんと別の壁に貼られていたり。

自然の印象が支配的な中で、自分の周囲にいる人間は小さく小さく、遠くにいるような感じだ。

写真を留めている黄色いマスキングテープと、銀色のアルミテープ。額装、大きな写真を挟み込んでいる角材、床に敷かれたロール紙、その上の小さな写真たちを抑えるアクリル板、窓際に置かれた展示用の金づち。

そういう一つ一つの要素が、特段の根拠もなく関連づくでもなく、像を結びそうで結ばないというような、不思議な展示だった。

友人の感想が「彼は居場所を探している人」とのことで、かなり的を射ていると思った。

 
 

© 2019 TAKURO GOTO

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